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レクチャーシリーズ+ネットワーク構築ゼミ・メキシコ編
メキシコを拠点とするナオミ・リンコン・ガヤルドは自身のことを「グローバル・サウス出身の、有色のクィア、脱植民地のフェミニスト、ビジュアルアーティスト、抜け目のない研究者」と語ります。その作品は、人種・民族・ジェンダー・セクシュアリティ・階級といった様々な権力関係の交差によって強いられた個人や集団への抑圧に、多様な性やジェンダー表現、喜び、憤り、祝福をもって対抗し、それを別のかたちの世界へと転換する欲望と活力を煽ります。
本プログラムでは、ネオコロニアリズムや女性への暴力等をテーマとする作品『ホルムアルデヒド・トリップ』のオンライン上映と、作品の背景に触れるレクチャーを開催します。
共同開講:京都市 文化芸術による共生社会実現に向けた基盤づくり事業([主催]一般社団法人HAPS)
2023年2月17日(金)18:30〜22:00
YouTubeでのライブストリーミング配信
※レクチャー2「ことばに、ふれる、グロリア・アンサルドゥーア」はZoom での直接参加と YouTube での視聴のいずれかを選択できます。
※YouTube視聴はチケット配布数を追加しました。
※100名程度まで(レクチャー2のZoom参加)
2023年2月15日(水)締切
※お申込者には後日、アーカイブ配信 URL をお送りします。( レクチャー1・2のみ )
◎第1部 レクチャー 18:30〜20:50
1.「サバイバルの戦略 ―クィア・オブ・カラーとパフォーマンス」
講師|菅野優香(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教員)
「クィア・オブ・カラー批評」は直訳すれば「有色(人種)のクィア批評」であり、クィア理論において、人種・ジェンダー・セクシュアリティ・階級が交差する様を探り、またその交差が国民国家の形成やイデオロギー、資本主義とどう関係するかを探求してきた分野です。本レクチャーでは、キューバのクィア理論家ホセ・エステバン・ムニョスが唱えた「非同一化」――誰かや何かと「同じ」であろうとする同一化(アイデンティフィケーション)という行為に対してそれを拒むこと――の概念をベースに、有色のクィアによる映像やパフォーマンスについてお話しいただきます。
※受講申込者は、2021年度に開講した菅野優香氏のレクチャー「クィア・オブ・カラー批評―アメリカにおける非白人の知と経験」のアーカイブ動画も期間限定でご覧いただけます。
2.「ことばに、ふれる、グロリア・アンサルドゥーア」
講師|ほんまなほ(大阪大学 CO デザインセンター教授)
自らをテキサス生まれのチカーナ(メキシコ系アメリカ人)・レズビアン・フェミニスト詩人・作家・文化批評家であると規定するグロリア・アンサルドゥーアは、1980 年代に詩やエッセイ等の執筆や編纂を通じて、「白い」フェミニズムによって追いやられていた人種・民族・階級・セクシュアリティをめぐるマイノリティのフェミニズムを開拓しました。本レクチャーの前半は講義形式で行い、後半はアンサルドゥーアの原文と翻訳を対照させながら、Zoomでの参加者に声に出して読んだり感想を交換していただく予定です。
※Zoomでの参加者は19:35~19:45頃に入室いただく予定です。YouTube参加の方ともコメント欄を使って感想を交換します。読んだり感想を交換するワークに参加されたい方は、Zoomでの参加チケットをお申込みください。
「サバイバルの戦略 ―クィア・オブ・カラーとパフォーマンス」
人種やジェンダー、セクシュアリティをめぐるキーワードのひとつにアイデンティティ(identity)がある。「同一性」と訳されるアイデンティティは、持続的に「同じ」であることを意味する自己の感覚や認識である。そして、誰か、あるいは何かと「同じ」であろうとする行為は「同一化(アイデンティフィケーション)」と呼ばれ、ジェンダーやセクシュアリティ、人種に関するアイデンティティをかたちづくる重要な要素としてさまざまに議論されてきた。だが、キューバ出身のクィア理論家ホセ・エステバン・ムニョスによれば、有色のクィアにとって重要なのは、むしろ同一化を拒むこと、すなわち「非同一化」であるという。そして、非同一化は、植民地主義や白人至上主義、異性愛規範によって周縁化されてきた有色のクィアにとって抵抗の戦略、あるいは生存の戦略になりうるのだとムニョスは語る。
今回のレクチャーでは「非同一化」の概念をベースに、有色のクィアによる映像やパフォーマンスについて検討する。そして、抵抗や生存の戦略としての「非同一化」がもつ可能性について考えながら、有色のクィアによる作品が示す「未来」あるいは「ユートピア」を想像してみたい。
菅野 優香
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教員
カリフォルニア大学アーヴァイン校Ph.D.(ヴィジュアル・スタディーズ)。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教員、およびフェミニスト・ジェンダー・セクシュアリティ研究センター員。専門は、視覚文化、クィア理論・批評。著書に『クィア・シネマ・スタディーズ 』(編著、晃洋書房、2021年)など多数。
「ことばに、ふれる、グロリア・アンサルドゥーア」
かたくてやわらかい。するどくてやさしい。まっすぐでまがってる。いくつもの言語。グロリア・アンサルドゥーアのことばは、つよく、わたしたちの、うちとそととに、ひびきます。そのことばに、ふれてみましょう。それは、あなたにとって、どのような感覚でしょうか。であうのは、たとえば、こんなことばたちです。
チカーノ・スペイン語は、自然に成長してきた境界の舌=語なのだ。変化、シンカ、ハツメイ ヤ シャクヨウ ニヨッテ、コトバタチガ ユタカニ ウマレルコト で、つくりだされた、さまざまなかたちのチカーノ・スペイン語、アタラシイ ゲンゴ。アタラシイ ゲンゴ、ソレハ、ヒトツノ イキルヨウシキ ヲ アラワシテイル。チカーノ・スペイン語は不正確なのではなく、それはひとつの生きていることばなのだ。
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いろつきのレズビアンが、じぶんの生まれそだった文化にたいしておこなう究極の反抗は、その性によってなされる。彼女はふたつの道徳の禁止に反する。つまり、性愛と同性愛。レズビアンであり、カトリック教徒として育てられ、ストレート[異性愛]であるよう教えこまれたわたしは、クィアであることを、えらんだ(遺伝的にそのように生まれついたひとたちもいるが)。それはおもしろい道だ。白人の、カトリックの、メキシコ人の、原住民の、本能の、ウチとソトをでたりはいったりする。わたしのあたまからでたりはいったりする。セイシンビョウイン、キチガイのためにつくられた道。それは、知の道。わたしたちのジンシュにたいする抑圧の歴史を知るための道。あれかこれか、のあいだでバランスをとり、それをやわらげるための方法だ。
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チカーナのフェミニストたちは、しばしばたがいをさけてとおる、疑いとためらいをもちながら。…ほかのチカーナにちかづくことは、鏡をのぞきこむようなものなのだ。そこにうつってみえるものが、わたしたちには、こわいのだ。イタミ。恥。ひくい自己評価。こどものころから、いわれてきた。わたしたちのことばはまちがっていると。母語に対する攻撃がくりかえされて、じぶんであるという感覚がへっていく。攻撃は生涯つづくのだ。
Gloria Anzaldúa, Boderlands / La Frontera より(翻訳:ほんまなほ)
ほんまなほ
大阪大学COデザインセンター教授
臨床哲学を専門に、哲学プラクティス、対話、こどもの哲学、フェミニズム哲学、多様なひとびとが参加する身体・音楽表現についての教育研究を行う。著書『ドキュメント臨床哲学』、『哲学カフェのつくりかた』『こどものてつがく』(共編著)ほか、『アートミーツケア叢書』監修。
◎第2部 作品上映 21:00〜22:00
『ホルムアルデヒド・トリップ』
先住民の土地や女性の権利を守るために活動し、2010 年に殺害されたベティ・カリーニョが復活し、メソアメリカの神々や魔女、動物等の仲間と黄泉の国を旅する物語。新大陸で発見され、ホルマリン液で保存されたアホロートルが語り部となる。2017 年にナオミ・リンコン・ガヤルドとサンフランシスコ近代美術館との共同プログラムにより、映像+ライブパフォーマンスの形式で発表された。(字幕:日本語・英語/オーディオ言語:スペイン語・英語・ドイツ語/38分/字幕翻訳:林かんな 字幕制作協力:有限会社ホワイトライン)
※第2部の冒頭で、菅野優香氏、ほんまなほ氏による本作についてのクロストークを行います。(15分程度)
ナオミ・リンコン・ガヤルド
1979 年生まれ。メキシコシティとオアハカを拠点とする。グローバルな権力による資源の収奪のプロセスや異性愛中心の家父長制的な暴力に対するレジリエンス、不服従、欲望の物語を作り上げ、スペキュラティブ・フィクション、シアターゲーム、ミュージックビデオ、土地の祭礼や工芸への関心を統合し、クィア/デコロニアルの観点から作品制作を行う。2022 年、第 59 回ヴェネチア・ビエンナーレメキシコ館に出展。